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40才デザイナーの転職記録

デザイナー職の私が40代を過ぎてから3回の転職を経験した、その顛末

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2009年8月19日 突然解雇が言い渡された!

2009年8月19日 突然解雇が言い渡された!

私はデザイナー兼Webディレクターをしている44歳の男である。
43歳の妻はいるが、子供はいない。

8月13日から夏季休みが始まりそして18日までの夏休みが終わった翌日、出社をすると社員全員でミーティングをしたいと社長の声が掛かった。

 

私のいる会社はたった5名プラスアルバイトの女の子の学生アルバイト2人の小さな会社。特に夏に売れる商品が多い雑貨や化粧品を開発するメーカーである。

そのメーカーで商品企画からパッケージやパンフレット、そしてWebの構築からデザイン、運営までを私は担当している。我ながら実に幅が広い仕事内容だと、こうして書いていて驚く・・・。

 

夏休みが終わった翌日8月19日。まだ、学生バイトは出社していなかったが、ミーティングは開かれた。12畳程度の小さな事務所だが、雑然とし大きめな打ち合わせテーブルの上も必ずごちゃごちゃだ。そのごちゃごちゃを端によけ、社員4人それぞれに席に着いた。そして、やや遠回しではあるが現在の会社が置けれている状況の説明が始まった。

この夏休みの間に何があったのかから・・・。






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社長の賭けは失敗に終わった

みんなが夏休みの間に、弁護士先生との打ち合わせがあったのだと云う。

会社はもともと、一旦民事再生に掛かっていて決して順風満帆ではなかった。が、その時に残していた払わなければならない借金がたっぷりあった。そして、それを支払わないといけない裁判所命令がきたのだという。

弁護士先生曰く、冬眠せよ。

会社は潰さないが、活動は停止するということ。

4人の契約は9月19日で打ち切りたい。決定的な発言が出て、その瞬間から私の就職活動ははじまったのです。

え、契約社員だったの? 違います。ちゃんと正社員でした。でも、契約打ち切りと表現したのは、法的には何か根拠があるのかも知れない。

いずれにせよ、そんな返さないといけない借金があるなら、もっと前になにか対策が取れたのでは、と思ってしまう。
前述のように夏に売れる商品の開発をしているので、3月くらいから7月までに今年の勝敗は決していて、この世界的不況の影響もあって、海外からの発注も伸びず、頼みの綱の8月猛暑の延長戦も、冷夏の前に惨敗。
社長の賭けは失敗に終わった、というところな訳だ。

この会社にいたのはちょうど1年

私は、昨年2008年6月にも会社を解雇されている。

2008年、2009年と会社を解雇されるという、嫌な経験を繰り返している。

クビになってばかりのまるで使えない社員の様に思わないで欲しいけれど。

2008年6月まで「デザイン制作課(仮)・課長」として在籍していた会社も、会社の多くの失敗による、多くのマイナスを社員たちの解雇という形に変え生き残りを図った。

おかげで、今も会社は存続している。

このときの会社は従業員200名近くの化粧品開発や販売、エステサロンチェーンを経営をする会社だった。

店を閉店し、各部署から次々に人を切り、美容アドバイザーの部門を廃止、部員解雇。デザイン制作課も昔からの薬事等の事情通を除いて全員解雇が決まった。

会社は今、人数は100人を切っているという。


2008年の夏の就職活動も、暑く、過酷だった。9月に入ってようやく見つかった会社。それが今の会社だが、ちょうど1年で退職というわけだ。

8月。着なれないスーツとネクタイ。冷夏とはいえ暑い。

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1965/03/31
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デザイナー・アートディレクター
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